絶版になった本を入手するのは楽ではない。文庫本ではなく、それが児童書ならなおのことむずかしいと思う。むずかしいだろうなあとは思いつつ、図書館に縁遠いので、入手して読みたかった。とはいえ、川の名前の大手物流会社は頼りたくない。
ひと昔前までは当たり前だった方法、つまり本屋さんで入手するという、古典的といえば古典的な方法で探そうと決めた。
いわゆる「書店」には、新刊本の取り扱いが基本なので、入手するとなると古本屋しかない。
大手古本屋へ行ったり(買ったばかりの新刊ではない文庫本の古本が売られていなくて安心した)、真夏の古本まつりをのぞいたり(納涼古本まつりとは名ばかりで、本よりかき氷が魅力的だった)してみたものの、見つからない。
とはいえ、なんとなく、ここにその本はいないな、という気はしているので、さほどがっかりはしない。
ここ10年ほど、春と秋は野外で開催される古本まつりに行くことにしている。
目的はもっぱら戦前か戦後まもない時期の和洋書物なのだが、さっぱり出会いがないときと、出会いがありすぎるときと、結果はさまざま。
毎年通ううち、本との出会いは、タイミングだな、と思うようになった。
タイミングが悪いと、本と目が合わず、出会えない。
だからその絶版本への執着をはずして、なんとなく気持ちのアンテナだけ小さく張っておくことにした。出会うその時が来るときは来るし、来ないときは来ない。
先日、とある風光明媚な観光地を待ち合わせ場所にして、友人と久しぶりに再会した。
再会した友人は開口二番にいい感じの古本屋があるという。
ランチの予約時刻までは少し余裕があったので、いざ入店。
インバウンドが猛威をふるうその地にたたずむ古本屋はすっきりしたさわやかな建物の外観に、こぢんまりした空間の店内で、店主が吟味、厳選して書物を置いていることがよく分かり、書物たちがのびのびと鎮座していた。
入り口に近い棚から見てゆく。欲しかった昔のムーミンコミック発見。状態もよい。
これは良い本屋を見つけた、とはやる気持ちを抑えて、一旦退店し、まずは腹ごしらえに向かう。
観光目的ではないので、ゆっくり友人とのランチを楽しみ、そしていざ友人とともに古本屋へ舞い戻った。
欲しかったムーミンコミックを横目に見つつ、ひとつひとつの棚をじっくり見てゆく。
ここなら、きっといるのでは、という根拠のない感覚がじんわりとしてくる。
どうやら児童書コーナーは一番奥のよう。そーっと近づき、ぼうっと児童書の棚全体を眺めて背表紙を追う。そうしたら、いた、いました。
やっぱりいた、ここにいたのか、と心中小躍りしながらゆっくり本と対面。状態も良いし、お値段もまずまず。ムーミンコミックと一緒に連れて帰ることにした。
まさに「清秋」という言葉がぴったりの日に、思ってもみなかった土地で、まさかの出会いに嬉しびっくりの出来事だった。