執筆者:紙魚
2024年08月15日

過去形ではありますが、マラソンをしていました。
といってもフルマラソンベストタイムはぎりぎり5時間切り、通常5時間越え鈍足ランナーときどきウォーカーでした。

物事を考えるときに頭の中でまとめることが難しくなったり、文章の意味を理解することに時間がかかるようになり、頭は使い続けなければどんどん鈍るものだなあと思っていたころ、ふと、まわりの尊敬する人を思い浮かべるとみな文武両道であることに気づきました。これがきっかけです。
世の中には思考に特化した方も、運動に特化した方もいらっしゃいますが、それは特殊なことで、実は運動量と思考能力は比例するのではないかと思ったのです。のちの話ですが「スマホ脳」で有名なアンデシュ・ハンセン先生の本を拝読した際、どの本にも共通して理解力のためにも記憶力のためにも心のためにも運動を勧めますという結論が書かれており、あながち私の思いつきも間違っていなかったなあと思う次第です。
さて、わが身の話にもどりますが、子供のころから運動は苦手でした。学校では相対評価だったため、頑張りに関係なくできなければそれまでだと感じていましたし、チームでするスポーツではチームメイトにも迷惑をかけるので、苦手意識ばかりが育ちました。
けれどもこのままでは体力も記憶力も落ちていくばかり、誰にも迷惑をかけないランニングをしてみようと思い至ったのです。
早朝に起きて走ることは思いのほか気持ちよいことでした。夏は暗いうちから家を出て朝日とともに帰宅、疲れて歩いても誰もとがめません。大人になってからのスポーツは、運動能力が劣っていても運動を楽しんでいいんだという発見がありました。
今まで知らなかった世界に踏み込むと新体験、新発見がたくさんあります。全くの知識も技術も体力もなしから始めているので、たとえ鈍くても成長は感じられます。
これは今まで運動を避けてきたリバウンドだなと思うほど、意外に楽しい趣味となりました。

そして、同時期にランニングを始めた友人に誘われ、初めて10キロマラソンの大会に参加しました。
その大会で最後の1キロ歩いてしまったことが心残りとなり、日程の近い福井県の「わかさあじさいマラソン」10キロの部に参加。初めて10キロを走り切った喜びと達成感、美しい田園風景にすっかり遠征マラソン大会のとりこになりました。
本末転倒ではありますが、ろくに走り込みもせず、あちらこちらの大会へとむかいました。旅行では思いつかない場所で、地元のものを食べ、地元の人とふれあい、知らなかった景色の中を走り、そしてまた食べる。フルマラソンで約7000キロカロリー消費すると聞けば、食べたい放題です。そしてお土産を選んで帰路につくと満足感でいっぱいになります。
正統派から変わり種までいくつもの大会に参加しました。ただひたすらに周回コースを走るただし仮装でという「年の瀬マラソンin所沢」では仮装賞をいただき、ウルトラに挑戦の「歴史街道丹後100㎞ウルトラマラソン」では60キロの部で完走して私のマラソン完走最長記録となりました。
各地さまざまな大会に参加しましたが、印象に残る大好きな大会がふたつ。徳島県海陽町の「海部川風流(ふる)マラソン」、そして“ほぼ”全ランナー憧れの「メドックマラソン」です。

知る人ぞ知るかもしれません、「海部川風流マラソン」。初めてのフルマラソンは初めて開催される大会にしようと決めてエントリー。とにもかくにも人が温かくて優しい徳島県海陽町。美しい海部川を目に山あいを走る美しいコース、学校の行事としてボランティア参加してくれる笑顔の学生たち。良い思い出しかありません。海陽町は心の故郷となり、第1回から第6回まで毎年参加しました。自己ベストを出したのもこの大会。百戦錬磨の地元ランナーが並走リードしてくださり、念願の5時間切りを果たしました。膝の痛みで断念した第7回以降、参加をお休みしている間に残念ながら大会自体が幕を閉じてしまい、全大会参加しなかったことが悔やまれます。

そしてご存じ、“ほぼ”全ランナー憧れの「メドックマラソン」は、フランスボルドーのメドック地域でワイン畑の中を走る大会です。毎年発表されるテーマに沿った仮装をすること、給水所で提供されるのが水ではなくワインであることでおなじみです。優勝賞品は優勝者体重分のワイン、完走賞はボトルワイン1本、さらに女性にはバラ一輪が贈られるという私のイメージするフランス感あふれる大会です。
インターネットで参加申し込みをし、任意の病院で問診を受け所定の英文健康診断書を作成してもらい、お宿付きプランで無事エントリー完了。大会側から案内されるホテルに宿泊すれば会場までの送迎バスがついているので安心です。
現地到着後はエントリー会場でゼッケンを受取り、余裕のある人は前夜祭へ。私は大会に備えて前夜祭はあきらめ、早めに就寝。大会当日は早朝迎えに来てくれるバスに乗って会場入り。私が参加した大会の仮装テーマが「コミックヒーロー」だったため、大会会場はヒーローだらけです。バットマンやゾロなど、マントを付けたヒーローは走るときも絵になります。体重分のワインを目指す一部ランナーを除き、もう走る前からお祭り騒ぎです。
いざ走りだすと一面に広がるブドウ畑、広い空。次々と現れるシャトーで振る舞われるボルドーワイン。机にズラリとならぶカップの赤ワインが陽光を受けてきらきら輝きます。こだわりのシャトーではプラカップに注ぐことはできないからとグラスでワインが提供されます。参加者が多いため、また有名どころのシャトーで飲まない選択肢はないらしくワイングラスの洗浄待ちがおこりますが、かまいませんとも。きちんと待ってガラスのグラスでいただきます。
ワイン畑に置かれたラジカセから「YMCA」が流れると、ランナーが手をあげ踊ります。西城秀樹さんがカバーしていた「ヤングマン」歌詞“YMCA”部分の振り付けが世界共通であることをこの大会で知りました。見知らぬ人との一体感もマラソン大会に参加する楽しみの一つです。
そしてまた、給食もマラソン大会の楽しみの一つ。お国柄か地域柄か焼き菓子が多くサービスされていました。パウンドケーキやクッキーの優しい甘さが嬉しいです。ただ、ハーフをすぎたあたりから、体が塩分を欲するように。この大会常連さんと見受けられるランナーはしっかりサラミなど持参しているようですが、私はそこまでの用意はしていません。肴っぽいものが欲しいなあ、と、思っていたところであらわれる生ハムキッチンカー。カウンターには鎮座まします生ハム原木。その場でスライスしてもらえます。もちろんきちんと並びます。濃縮されたうまみと塩味。失われた体内の塩分もしっかり補われ、またワインが美味しくなりそうです。
とはいえ続くのはボルドーのどっしりワイン。ワインに詳しいわけではありませんが、今自分の体内がタンニンで満たされているような感覚は認識できます。と、ここであらわれるキンキンに冷えた白ワインと生ガキ。たっぷりのレモンを絞ってちゅるりと牡蠣を口に、すかさず白ワインを含めば濃厚さと爽やかさがマリアージュ。すぐそこは30キロメートル地点です。
30キロメートル地点にはテントが張られ、おめでとう30キロ地点を旗印に踊るランナーたち。楽しそうな音楽とダンスには心惹かれますが、完走賞のワイン、いいえ、バラの花を手にしたい私は、時折聞こえる気がするアンビュランスのサイレンを文字通り気のせいにしてゴールを目指します。
ゴールはレーンになっていて、ひとりずつ間違いなく完走賞が受け取れます。噂のボトルワインは大会のイラストが印刷された木箱入り、真っ赤なバラの花は美しくほころんでいました。木箱入りワインもバラの花も帰国までの旅行中、宿泊ホテルの部屋に飾って楽しみました。

お祭りは1日こっきりではありません。前夜祭があれば後夜祭もあります。せっかくここまで来たのだからと、大会翌日はワイナリーとワインをよりしっかり楽しみたい人のために開催されるランチワインピクニックに参加しました。
幸いこの日も良い天気。参加するとテイスティング用のカップが配られ、そのカップを首からかけて穏やかなぶどう畑をウォーキング。10人ぐらいずつのグループで、ワイナリーに立寄りながら、ランチ会場のテントへ向かいます。テントに到着すると先着組で大盛況です。カジュアルなコース料理が提供され、ワインはセルフで樽からグラスに注ぎます。樽ワインは飲み放題。別途料金でボトルワインも注文できます。デザートのケーキの上には幸運をもたらしてくれるフェーブ(ガレットデロワに仕込まれる陶器のマスコット)が載っていて、このフェーブは今でも宝物にしています。
前日の達成感と大会の終わった解放感でみんな笑顔。中央に用意されたダンスフロアでは前日の疲れをものともせず踊る人たち。30キロ地点でのダンスを見送った私もお誘いを受けてフロアへ。社交ダンスを習っていてよかったです。

こんなに楽しい思い出もあるのに、なぜかしら一気に過熱した趣味は、熱が冷める時も一気です。
習慣的に走ることよりも、達成感のために大会に出ることが目的になってしまったのも良くない原因だったかもしれません。
鈍足で完走だけを目指す私にとって、マラソンがスポーツではなく根性だめしになってしまっていたことも原因だったかもしれません。
ランナー人口が増え、大会へのエントリーが難しくなったり、コロナ禍で好きな大会が中止になったり、初期の興奮が薄れると誰に聞かせるわけでもない言い訳だらけで、大会へのエントリーはもとより、ランニング自体をしなくなってしまいました。
そしてランニングをやめてしまうと、早起きも、ほんの数メートルを走ることさえもつらくなってしまいました。
私の身体と規則正しい生活のために、そして心の健康のため、ジョギングを再開することが望ましいとは思っていますが、ブランクが長くなればなるほどランニングのハードルは上がります。
とりあえず何か簡単な運動から、習慣づけるようこころがけはしたいものです。

身についた良い習慣を手放すのはあっという間なのに、身についた怠惰から抜け出すのは大変です。
残念ながら、まだ、もう一度マラソンにチャレンジしようという気持ちにはなれないのですが、
ワインは今も大好きです。