犬を飼っている。
犬の寿命は15年ほどである。その間、犬は飼い主から与えられたものが全ての世界で暮らすことになる。
そう思うと、飼い主は愛犬がとにかく1日でも長生きしてくれることを祈り、毎日幸せだと思えるようにしてやりたいと願う。
ペット産業はその飼い主の心理をうまくついている。
犬の健康と幸せを考える飼い主は、「プレミアム」「国産」「オーガニック」「無添加」「人間の食レベル」などの言葉に弱い。そしてつい高いドッグフードを買ってしまう。
高いものを食べたからといってそんなに寿命に差がでるとも思えないが、その差がたとえ1日であっても長生きしてくれればいいのである。そして愛犬が毎日おいしい、幸せだと思ってくれればいいのである。
そんな飼い主の心を見透かしたかのように、次々により高いフードが出てくる。
ジャーキーやガムなどの犬のおやつもそう。
安い(といっても人間のお菓子より高い)ものはたいてい中国産である。でも昨今の中国産食品のニュースを聞いていると、中国産を愛犬に与える気にならない。万が一農薬や危険な原料が混入していたら、体の小さな愛犬には影響が大きいに違いない。
そんな飼い主の心を見透かしたかのように、最近は「国産」、「無添加」と書かれたものが多く売られている。値段は倍に跳ね上がる。そして「何でこんなに高いんや!」と思いながらも愛犬の健康のために甘んじてしまう。
犬の服がまた高い。
犬に服を着せることには賛否両論あるかもしれないが、室内でぬくぬくと生活している今どきの犬は、冬にいきなり寒い外に散歩に行くにはやはり服は着せた方がいいらしい。
ところが、この服がまた高い。ちょっといいなと思うものは本当に高い。基本的に人間の服より高いのではないかと思う。犬の服なんて布も少なくて済むはずなのに。
「おかしい!高い!」と思いつつも、わが子(犬)を一番かわいくしてあげたい飼い主は、そんなに何着も買うわけじゃないし、短い一生なんだから、と買う理由を見つけて結局買ってしまう。
そんな飼い主の心を見透かしたかのように、犬の服の値段は必要以上につり上げられているように思う。
今年の春、動物愛護社会化検定(別名 犬の飼い主検定)を受けた。
これがまた飼い主の心理をついている。
合格したからといって、特に何の資格でもない。
テキスト代や受検料をかけてまで取る必要はないかも。と思いながらも、「愛犬家を名のるならこれくらい持っていないと。」という飼い主の心理をつかれ、結局、テキスト代と受験料を払って受けてしまった。
合格した。
ところがその後、検定を行っている協会から動物愛護のための寄付金の振込用紙が送られてきた。2回も。
広く一般に呼びかけるよりもよりも、動物愛護に興味を持っている人に呼びかけた方が効率がいいのは分かるが、何か“検定”をうまい具合に動物のためにお金を払いそうな人を見つけ出す手段に使われたような気がしてちょっとがっかりした。
でもこれで寄付をする人は多いだろう。
ペット産業は、飼い主が“愛する我がペットのためなら”とお金をかけることを知って、商売をしかけてくる。
飼い主は、私も含めそれが罠であることに気付いている。
そして罠だと気付きながらも、愛犬のためにこんな些細なところでケチってはいけないと自分を納得させ、自ら罠にはまる。
そういえば当事務所のある弁護士がかつて、「ペット教を開いて教祖になったら絶対儲かるだろう。」などと言っていたことを思い出す。
“ペット教”がいきなりできても、慎重な私が入信するわけがない。
と断言できるが、愛犬かわいさに罠と知りながらペット産業の思うつぼにはまっている私は、ある意味ペット教の信者なのかもしれない。