幼い頃、私のペットはノラ猫だった。
当時町内にはノラ猫が山ほどいたが、私のごひいきはシマ猫のニャンコだった。母親が作ってくれた特製猫まんまを、門の前で待つ彼女に毎日運搬した。彼女の食事中ずっと頭の先からシッポまで撫でまわったり、ごはんの中に手を突っ込んで食べさせたりしていたが、私がどんなに無茶をしても彼女は怒らなかったし引っ掻きもしなかった。
にらめっこしましょと彼女の顔面の肉をむぎゅっと寄せたり後ろにひっぱったりして変な顔をつくっては勝手に負け、門扉の細い隙間を通り抜けさせ、彼女の両前足を上に持ちあげて後ろ足が地面から離れるまでにいったいどれくらい胴が伸びるのか実験した。ご存知だろうか、猫の体というものは伸縮自在である、皮も伸びれば胴なんてニョニョニョ~とどこまでも長くなるのだ。
迷惑だっただろうに、エサをもらうためにはやむなしと悟りをひらいていたのか、彼女はただウニャウニャ言いながら私が飽きるまで付き合ってくれた。
親戚の家ではノラ猫ではなく本当にちゃんと猫を飼っていた。
とても用心深くご主人様以外に姿を見せたことのない猫で、私がどんなに呼んでも出てこなかった。
ある時、親戚が家をしばらくあけるというので彼女の世話をおおせつかった。初日は互いに相手の出方をうかがい部屋中に緊張感がただよっていたが、2日目になるとこの人に頼らないと生きていけないと察したようだった。今までの行動が信じられないくらいまとわりつき、膝に飛び乗って動こうとしなくなったのだ。
恥ずかしいくらい丸わかりのコビではあったが、やはり甘えられればかわいく思うもので、「バカミーコ」と言っていたのも忘れて無性にいとおしくなってきた。胴を伸ばし、お座りやお手の特訓などをしてバラ色の毎日を過ごした。
お世話係の務めを無事に終え、しばらくしてイソイソと彼女に会いに行った。しかし、いややはりと言うべきだろうか、彼女はもう姿を見せてくれず声さえも聞くことはできなかった。用がなくなればポイである。女性にさんざん貢いだあげく捨てられた哀れな男性の気分だった。とほほである。
彼女と接したのは彼女の生きた23年間のうち、その数日間だけだった。
小学1年生のとき我が家にはマルチーズがいた。
彼女には学校から帰ると「今日は木と口と火と目っていう漢字を習ってん」と毎日報告を欠かさず、友達のようにつきあっていた。
私は給食のぶどうパンが大嫌いだった。あんなまずいものはこの世にない。いつもぶどうとその周りの茶色くなった部分をほじくっては捨て、かろうじて残った白い部分を牛乳で流し込み、それでも食べられなかった残りはこっそりランドセルに入れて持って帰っていた。
ある日まるまる1本残してしまった。どうしたものかと途方にくれていたがひらめいた!これがうまくいけば一生ぶどうパンに悩まされなくてすむ。
家に帰ってすぐ彼女を呼んだ。「これおいしいねん、食べてみ。」
彼女はフンフンと匂いを確認したあとパクっと口に入れた。よしよし。
しかしなんということでしょう。しばらくすると、あろうことか肝心のぶどうだけをペッと吐き出したのだ。
犬にそんな芸当ができるなんて嘘だろ。
何度食べさせてもぶどうだけポロンと出てくる。「食べなあかんやろー、これおいしいねんから!」と言ってみたが、ぶどう嫌いに言われたところでいまいち説得力に欠けるのか聞いちゃあいない。そんなところは飼い主に似なくていいのだ。
彼女が妊娠したとき、彼女を買ったブリーダーから「うちで出産の面倒をみましょう」と申し出があり預けたところなんと夜逃げされ、そのまま彼女は二度と戻ってこなかった。どうやら犬を買わせて育てさせ妊娠したら赤ちゃん共々いただいてしまう悪徳業者にだまされたようである。その後も彼女はそうやって売られ続けているのかもしれない。
小学5年生のとき再びマルチーズがやってきた。
彼は手のひらサイズの小さな生後2ヶ月の赤ちゃんだった。憎ったらしい兄なんかではなくかわいい弟が欲しいとつねづね思っていた私には願ってもないことだった。しかもとても男前だった。のちのちちょっとおバカなことが判明したが男前度は成犬になっても衰えることはなかった。
「ゴハン」「おさんぽ」などどんどん言葉を覚えてシッポを振り振り足元にやってきた。「ゴ・・・リラ~でしたー」「おさ・・る~でしたー」などとフェイントなんてかましたら最後、純粋な彼には通じず本当にごはんをあげて散歩に行く羽目になった。
いつも後ろをくっついてくるのに「かくれんぼしよか」と言うとじっとその場に立ちすくみ、2~3分すると自発的に私が隠れそうな場所を探しはじめ、見つけ出した。あまりに簡単な場所に隠れると動くのもバカらしいようで、近づくことすらせず遠くから「ここから見えてんで」と吠えられた。必死で場所を探しスジを違えんばかりの無理な姿勢で隠れ、犬と真剣にかくれんぼをやる私って…と思わないでもなかったが、楽しいんだから仕方ない。惜しむらくは彼が隠れる側にはなってくれなかったことだ。今度はアンタの番ね、といくら言ってもこれだけはわかってくれなかった。
車や自転車の前かごに乗って流れる景色を見るのが大好きだった。
泣いていると「どうしたん?」とやってきて涙をペロペロなめてくれたし、「まあまあそう怒らんと」と兄とのケンカの仲裁もしてくれた。
冬は一緒に寝てちょうどいい湯たんぽ代わりになった。
朝4時半頃からソワソワしだしきっかり5時に起こされた。散歩の時間なのだ。眠いから無視していると顔を前足でちょいちょいと触りだす。それでも寝ているとコイツめとバシバシ顔面を叩かれた。
よくケンカもした。そのあと彼の前に手をだすと自分が悪かったと思っているときはペロッとなめる。これが仲直りの合図だった。しかし「俺は悪ないで」と思っていたら絶対なめない。横目でにらんでそっぽを向くのである。あー腹立つ、こうなったらもう長期戦の構えでいくしかない。2~3日無視しあうこともざらだった。
ある時引越すことになった。引越し先のマンションはペット禁止。やむなく知人に彼を預け、1か月に一度か二度はるばる会いに行っていた。ある日妙に彼が車に乗りたがり車のドアを開けろとしつこくせがんだが、また今度来たときねとなだめて帰った。
それからすぐに彼は心臓発作で死んでしまった。ぽっかり心に穴が開いた。もっとこうしてあげれば、ああしてあげれば、と後悔は尽きず毎日罪悪感に悩まされた。今どきはこういうのをペットロス症候群というらしい。それからもう何年も経つけれど今でも思い出すときゅうっと悲しくなる。
彼らと過ごす時間が楽しい分だけ別れはつらいものになる。そしていつも後悔がつきまとう。幸いなことに、私は彼らの亡骸を直接見たことがない。だから、今もどこかでみんな楽しく暮らしてるのかもと思うことにしている。今は観葉植物相手にリハビリ中である。でもやっぱり懲りもせず彼らが好きだ。またいつか犬や猫と暮らしたい。
そうそう、弟もやっぱりぶどうパンが大嫌いだった。