「真の紳士は、別れた女と、払った税金の話はしない」というのは村上春樹氏がエッセイ集「走ることについて語るときに僕の語ること」の前書きで氏がねつ造(?)した箴言であり、その後に、もしその言葉が本当にあったら「健康法」を語らないことも真の紳士の条件の一つかもしれないとして、(紳士ではない?)氏のマラソン経験についての話につながっていく。これは村上春樹氏独特のユーモアあふれる語りであるが、私は、誰かの本でアメリカのビジネスマンは家族の写真とフルマラソンの完走証明書をオフィスに飾るという話を読んだことがある。家族を大事にし、フルマラソンを走れるほど健康に留意している人間であることを訪れるクライアントなどに示し、自分が安心できる人物であることを理解してもらうためということだが、いかにもアメリカ的でなるほどという気もする。
私のデスクには家族の写真を貼っているが、クライアントが私のデスクで打ち合わせをすることはなく、この点をクライアンントにアピールすることはできない。しかし、フルマラソンについては、2012年11月19日の日経新聞夕刊に私のフルマラソンに関する記事が載って、完走証明書に代わってクライアントにアピールできた。記事の内容は、中高年がハードなスポーツにはまっている現状をレポートしたもので、ボクシング、トライアスロンをやっている方に加えてマラソンをしている私が載ったものである。昨年の私のエッセイ「フルマラソン初挑戦」を読んだ記者からのインタビューに答えたのである。
その新聞記事にも載ったが、今年も約7倍と言われる競争率を制して2年連続で2012年11月25日開催の大阪マラソンに出場することができた。昨年の大阪マラソンで4時間30分を切れなかった私は、今シーズンこそは4時間を切るとの目標を掲げて練習していた。しかし、春から夏にかけて少し長い距離を走ったり、続けて練習したりすると、すぐにアキレス腱、ふくろはぎ、太ももの裏側を順番で痛めることとなった。医者通いをする時期もあり、十分な練習ができないまま本番を迎えることとなった。
ただ、十分な練習はできなかったものの身体能力は昨年より上がっていた実感はあったし、最後まで走りきることに不安はなかったので、今回の大阪マラソンでは前回より最初から飛ばしていった。前回は後ろの方からのスタートだったが、今回のスタート位置は大分前になり邪魔になるランナーが少なかったことも大きかった。その上、今回はトイレによるロスのないように前日から水分の摂取を控えたために寄り道せずに済んだ。前回、スタートして10kmもいかないうちにトイレに行きたくなり、数分はロスしたからである。また、前回、途中でお腹がすいてバナナを1本食べたところ気分が悪くなったので、今回は羊羹を小分けにして走りながら食べることにした。羊羹を携行するというのは当事務所の森田弁護士のアドバイスであり、10km、20kmの地点で走りながら食べたがうそのように美味しかった。体中に羊羹の甘みがしみわたっていく感じである。
当初のペースは1kmあたり約5分30秒であり、特に意識しなくてもそのペースで走れる一番気持ちのいい速度だった。ちなみに5kmの最高ラップタイムは15kmから20km区間の26分55秒(1kmあたり5分19秒)である。
ということは、28km地点で約2時間34分であり、あと14.195kmを1時間26分以内で走ることができれば、つまり1kmあたり6分のペースで走ることができれば確実に4時間を切れる。いや、32kmまでいけば、もっとスピードを上げて4時間を大幅に切ったタイムも可能ではないか。そんなことを28km地点で考えて、4kmだけこのペースで様子をみることにした。心も体も全然疲れていなかった。
しかし、実際に32km地点に到着すると、わずか4km前の自分とは違う自分がいたのである。足が痛いとかいうのではないが疲労感が全身を覆い始め、ペースを上げるなどは意識から飛んでしまった。給水所までの間隔が長くなっていると感じ、レース終盤に給水所の間隔を長くする大会運営者の配慮のなさに腹を立てた(実際はスタート後5kmの地点から変わらず2kmから3kmごとに給水所はあるのだが)。心も体も疲労感に苛まれてきた。そこからは、どんどんペースが落ちていったが、どうしようもなかった。気持ちを奮い立たせることもなく、ただ、1km、1kmと減っていく表示を見ながらゴールすることだけを考えながら走った。結局、タイムは4時間1分15秒であった。
あとひと踏ん張りで4時間を切れたのだが、この結果に後悔はしていない。これが私の実力であり、これ以上早く走ることはできない。こういうのはマラソンならではの達観であろう。たとえばゴルフなら、あの短いパットが入っていればとか、あのアプローチをザックリやらなければとか、必ず後悔があるものだが、そういった「ああしておればよかった」という後悔は、少なくともマラソンに関する限り私には湧いてこない。タイムマシーンに乗って平成24年11月25日に戻って、もう一度大阪マラソンのスタートラインに立っても同じ結果だろうと思う。恰好よく言えば全力を尽くしたという感情である。
次のフルマラソン出場は3月3日の篠山ABCマラソンである。全力を尽くした結果が4時間切りという目標達成になればいいと思う。
執筆者:弁護士 池田 佳史
2013年02月01日