有名な数式で1+2+3+4+・・・+n=(1+n)×n÷2という数式がある。
何年か前に本屋大賞を受賞した小川洋子さんの「博士が愛した数式」にも登場していた。
例えば1から10までの整数をすべて足すと(1+10)×10÷2=55となる。
しかし、私はどちらかというとこのような数式を使うのはなかなかできない性分である。
疑い深いというか、数式を鵜呑みにするのが気持ち悪く、10くらいまでなら自分で足したい、と思ってしまう。
おそらく私が直感型の人間で、ある種類の事柄になると非常に勘がよいことなどもかえって災いしているのだと思う。
しかし、当然のことながら1から10を足すような簡単な問題が出ることはほとんどない。
とすると、やはり勇気をもってこの式を使うしかないわけである。
ここで後押ししてくれるのが、論理である。
なぜこの数式が導かれたのかを理解していれば、安心して数式に身をゆだねることができるわけである。
これが論理を信じるということである。
しかし、論理の邪魔をするものがある。
それは無意識のうちに論理から導かれる結論を拒む気持ちが自分のなかにあったり、これはこうなるはずだ、という先入観があったりすると論理から導き出された結論を受け入れるのが苦しくなってくる。
当事務所の所長の梅本弁護士が常々口にする言葉は「論理で考えろ。論理で考えれば必ず正しい答えに到達するはずだ。」である。
うちの事務所は弁護士同士の議論が非常にさかんな事務所である。
事件についての見通し、方針や、事務所運営に関して様々な議論を行う。
通常所内で行われる議論は、どうしても数式のように単純ではなく、様々な要素のうちどれを考慮に入れてどれを入れないかということも含めて検討しなければならず、しかも複合的な要素を考慮したうえで、全体としてベストな解決を導かなければならない。それゆえ、論理を押し通して考えるのが一見困難な場合もある。
しかし、恥ずかしながら弁護士になって15年、議論に参加し続けてそれなりに経験を積み、今やっと論理を信じることの大切さがわかってきたような気がする。
論理で達した結論に違和感があるのならば、投入する材料が間違っているのか、論理の組み立て方が間違っているのか、違和感を覚える自分が間違っているのかのどれかである。
そして、一番多いケースは、いわずもがなではあるが、違和感を覚える自分が間違っている、のである。
つまり、常に論理を信じ、論理で考えれば、自分の考えを変える柔軟さというすごい武器を身につけることができるのである。
これから年齢を重ねていくことを考えれば、このことには大きな価値がある。
考えてみれば、梅本弁護士は、論理に基づいて反論されそのことに納得した場合、頻繁に「認める!」といい、時には結論を大きく変更することも全くためらわない。
それは論理を骨の髄から信じているからだ、ということだと思う。
私はまだまだ修行が足りないが、これからも「論理道」を極めていきたいと思っている。