2004年03月01日

私にはロサンゼルス在住の日系2世の友人M氏がいる。
私より40歳くらい年長であり、第二次世界大戦中にマンザナの日系人収容所(アメリカ合衆国大統領令により日本人を隔離して収容するための施設)にも入っていたということなので、私がその方の友人というのもおこがましいが、他に形容する言葉も思い浮かばないので友人としておく。
M氏とは、私の父親がM氏の親戚と懇意であったことから、子供の頃から来日した際にお会いしており、私がアメリカ旅行をした時もお世話になった。
その後も私のカナダへの留学の前後で数回お目に掛かっている。
M氏のご尊父は日系1世であり、ロサンゼルスで写真スタジオを経営しておられたが、第2次世界大戦中にマンザナの日系人収容所で隠し持っていった写真機の部品を使って手作りのカメラを作って内部の模様を写し、それはNHKの大河テレビ小説「山河燃ゆ」(1984年に山崎豊子著「二つの祖国」をドラマ化)の資料として使われたそうである。

M氏及びそのご尊父は、戦前、戦後に渡米してきた日本人のために尽力しており、写真館を経営していることから、M氏の自宅には日本から来た有名人の写真がサイン入りで多数飾られている。
その中で、天皇陛下の皇太子時代の写真に自筆サインと思われる跡がついた状態であったのと、写真ではないが美人画で有名な竹久夢二画伯の西洋人婦人の油絵があったのが目を引いた。なぜ皇太子殿下の写真があったかは覚えていないが、竹久夢二画伯の油絵については、画伯が渡欧される前にロサンゼルスに滞在していたことがあり、その際に世話をしてくれた人へのお礼として油絵を描いて贈ったが、後に喧嘩をして、世話をした人がその油絵をM氏に売り飛ばしたということであった。

M氏とお話をさせてもらっていて強く感じるのは、日米間の歴史や政治についての意見を口にしないことである。
多分、日系2世というアメリカ人とはいえ、そのルーツがかつて敵国であった日本であることから、そのような意見の怖さや難しさを熟知しているからであろう。
一度、私が、日本が真珠湾を奇襲した時にどう思ったかを質問したところ、しばらく黙った後に「あの頃はアメリカも日本をいじめたからね・・・」という答えをされたことがある。
それは肯定的というよりは、否定的でありながら断定を避けるというような口調であった。
その口調は非常に印象に残っている。
マンザナの収容所時代についても、多分、愉快な思い出はないと想像できるが(ロサンゼルスのリトル東京には全米日系博物館「Japanese American National Museum」があり、そこには収容所で使われた宿舎が展示されており、非常な粗末なものである)、それについても批判的なことは口にされず、老人達が芋の葉や蔓から焼酎を作っていた様子や張り巡らされた鉄条網から無断で外に出て帰ってくるゲームのスリルなどをユーモラスに語ってくれた。
近いうちにお会いして、貴重な話を聞きたいものだと思っている。