私の実家は愛知県田原市なのですが、平成30年5月に開催された田原凧まつりに参加しました。
田原凧は、江戸時代から伝承されている田原市の習俗ということです。この田原凧は、長男の誕生と無事を願ってあげられた「初凧」と互いに相手方の凧糸を切り合う「けんか凧」の2つがあります。初凧は旧暦5月5日の端午の節句に男の子の誕生を祝い、無事に成長することを祈って大凧が挙げられてきた風習に起源があるようです。現在では、男の子も長男であるか否かを問わず、また女の子もその成長を願って凧が揚げられています。凧が風に乗って揚がっていくことに願をかけ、子供の立身出世を祈る意味もあるようです。
凧には絵師によって武者や歌舞伎絵などが描かれます。私の息子の凧は父が選択したのか、真田幸村の絵でした。女の子の場合には巴御前などが描かれるようです。描かれる絵の作風は青森県ねぶた祭の山車を思い出していただけるとイメージしやすいでしょうか。
地元のことであるにもかかわらず、あまり詳しいところは知らなかったのですが、たしかに小学生のころ、図工の授業で凧を作った思い出があります。
私自身は、小中高と田原市の学校に通い、高校を卒業するまでは自宅から10分もかからない狭い生活圏で日常を過ごしていました。子供ながらにこのままで良いのだろうかと迷い、世界観を広げるために思い切って大学進学の際に大阪を選びました。経済的な面ではだいぶ両親に迷惑をかけましたが、良い友人に恵まれ大阪に来てよかったと思っています。その後は東京で就職し、息子の出生を機に大阪に転居するなどいつの間にか県外での生活の方が長くなってしまったのですが、40代も半ばに差し掛かってくると、こうした「地元」のイベントに参加することにより、ルーツや今の自分の人格を形成した基盤が残っていることのありがたさも感じています。
今回の凧まつりに参加したのは、両親からの連絡で「凧まつり」という風習を思い出したのがきっかけでした。父と母へは孫の顔を見せることで多少は罪悪感を解消できたように思います。
話が脱線してしまいましたが、いろいろな意味でこうした昔ながらの風習の大切さを感じたイベントでした。
9月には田原祭り・五町合同花火大会があるので父母に孫の顔を見せに行こうと計画しています。
執筆者:弁護士 井上 彰
2018年09月01日