2023年10月01日

ついに自宅を建て替えることとした。私は、1999年3月にカナダのバンクーバーから帰国して1年間妻の実家(1軒屋)で居候をしたあと、マンションを購入して3年ほど住んだあと、妻の実家の横の1軒屋が売りに出されたので購入した。この家は、昭和40年頃に建築された家で相当の費用をかけて改修をしたが、内部の設備の改修が主たるものであり、躯体部分を含む大規模修繕まではしなかった。そのため、屋根の葺き替えや壁の塗り直し、玄関分の修繕、子ども部屋の改造、押入れのクローゼット化と約20年の間に不具合や気に入らないところができる度に修繕を繰り返してきた。というのも、隣の妻の実家に住む義父の健康状態次第では居住場所を含む生活方法について色々な選択肢がありうると考えていたからである。しかし、義父はいたって元気なまま時間が経過し、いつかは建て替えたいと思いながらタイミングをはかりかねていたところ、妻からこれ以上年をとると引っ越しができなくなるとの最後通牒を受け取ったためついに決意したのである。

 

建て替えると宣言した後の妻の行動は素早かった。多分、私の気が変わることを阻止しようと思ったのだろう。すぐに住宅展示場巡りが始まった。大阪の北摂の住宅展示場といえば、万博記念公園の広大な展示場が有名だったが、すでに閉鎖していて、代わりに箕面に展示場ができて賑わっている。そこで妻は平日に何メーカーかの展示住宅を巡った後、休日に私を連れ出して同じように各メーカーを巡って説明を聞くこととなった。各住宅メーカーの営業担当者は、とても積極的で、自宅に来て面積や寸法を測ったり、建築条件等を確認してくれたりした。そのような過程の中で、私の所有地は建築には相当な制約を受けることを知った。たとえば、家の奥にある擁壁上のコンクリートブロック塀は撤去しなければならないとか、北側に日影制限があるとかである。有り体にいえば、違法建築の家だったようである。いずれにしても、各住宅メーカーは、それらの制限をクリアーするような建物建築図面を作成してくれ、バーチャルリアリティのような画像で内部をイメージさせてくれたりした。それらに2ヶ月くらいを費やした後、お願いする住宅メーカーを決定することとなった。選択した住宅メーカーは積水化学工業のセキスイハイムである。セキスイハイムは、軽量鉄骨の箱(キュービック)を何個か工場でつくって、その中の造作も同様に工場でつくったあと、基礎の上に載せて固定するという工法をとっており、機密性、耐震性を含めて優れていると思ったからである。

 

住宅メーカーが決まれば、本格的な建物図面の打ち合わせが始まる。地形や入り口が一箇所しかないことなどから大体の建物の位置や形状は誰が考えても同じになる(たとえば南側をなるべく広く開ける形状となる)が、真四角なのか少し凹凸をつけるのかなど細かい点について内部の間取りを考えながら決めていく。これらが決まった後、二階に上がる階段をどうするかを念頭に内部の間取りを決めていく。並行して、台所や風呂などの設備の選定をしていくにあたっては、設備メーカーの展示場で現物をみて使い勝手を確認する。また、窓の場所、形状、玄関ドアを含めた玄関のしつらえを考える。このような過程を経て、建物の概略が決定する。その後、内装のクロスや天井の形状、ライトの選択と位置の決定、スイッチの数と位置の選択という細かい作業を行う。そして、最後に外構をどうするかを決めることになる。玄関への敷石の種類をどうするか、駐車場の位置や設備、植栽等である。全部が一応決まった後に価格の積算がされて金額を提示される(もちろん、それまでにも金額についての情報は提供されているが、色々な仕様の決定の度に金額が変わるので総額でどうかは明確にはわからなかった)。当然ながら、こちらの要望を叶えたものなので予算オーバーであり、そこから無くてももいものを取りやめたり、グレードを落としたりして、最終的な設計が完成するということになる。ここまでさらに約2ヶ月間、ほぼ毎週、打ち合わせが行われることになる。

 

設計が完成すると家の解体に入ることになるが、その前に引っ越しである。我々の場合、引越し先は隣の義父宅なので、上記打ち合わせをしながら、少しづつ必要な荷物を移し、また当面は不要なものをダンボールに詰めて積み上げていく。捨てる家具はできるだけ解体してゴミとして市に持っていってもらう。引っ越しの日には引越し業者に冷蔵庫などの大型家電、家具と段ボールに詰めた荷物を倉庫に運んでもらう。新築の家に移るまでしばらく保管してもらうのだ。また、ケーブルテレビ、セキュリティ会社、ガス会社等への連絡も必要である。ということで、現在、解体が終了した状態で、地鎮祭が終わったところである。家が完成して住み始めるまで、まだ後半年ある。ここまでで十分ヘトヘトであるが、まだ先は長い。家を建てるということは体力勝負であり、やはりある程度の若い年齢で行う作業のようである。