2006年12月01日

自己啓発本として売れるのではないかと我ながら思うくらいのタイトルである。
最近仕事上の会話をするときに気をつけていることがあるので、まとめてみた。

私は元々口が上手ではない。むしろ口べたである。およそ流暢ではない。言いたい言葉がすっと出てこないし、芸人言葉でいうところのよく「噛む」。
無口というわけではないが、よくしゃべるわけでもない。よくしゃべるのは酔っぱらってテンションが高いときだけである。

そんな私だが弁護士として訓練を積んだおかげで、口べたはある程度克服した。
もちろん依頼者の法律相談に応じる、先輩弁護士と事件の打合せをする、法廷で裁判官に向かってしゃべる、証人に向かって尋問するなど単に場数を踏んだからだとも言える。
しかし、より大事だったのは、物事を論理的に考え、その結果を端的にストレートに表現すればそれでよい、ということを体得したからである。

いろいろな会議に参加して、人がしゃべっているのを聞いていると、「この人は発言の量は多いが、結局のところさっきから同じことばかりしゃべっているな。」とか、「今、横道にそれたな。」とか、「今、枝葉の話するときちゃうやん。」というのがよく分かる(失礼ながら)。反面、「この人が議論をリードしているな。」とか、「この人は目立つような発言はしないけど、議論の成り行きをみて、賛成説と反対説を上手く取り込んで、次に繋がる良いまとめをしたな。」とか、「今の一言が硬直状態を打ち破ったな。」と思うこともある。
こういうことを考えていると会議が長くても結構楽しいのだが、自分もしゃべらないといけないので、そういうときは、前に上げた例のうち良い印象の人のマネをしてしゃべることにした。良い印象を抱くのは、やはり、議論をひとところでぐるぐる回すような発言でなく、議論が階段を上っていくように積み上がっていくような発言である。分かりにくいが、これが私のいうところの「論理的に考えてしゃべる」ということである。

論理的にかつよくしゃべることができれば、それに越したことはない。しかし、最初からそのマネをするのは難しい。
そこで、仕事上はせめて論理的にしゃべりたいと考えた。そう思うと、気が楽になった。流暢にしゃべるとか、おもしろおかしくしゃべるとかそういう能力に長けた人のマネがまずはできなくてもいい。
ところが、相手の知りたがっていることを過不足なく論理的に分かりやすく話せば、それで仕事上は何の問題もない。むしろその方が適当という場面の方が多いのである。
あくまで仕事上の話だが、早口でよくしゃべる人、極端に言えば、マシンガンのようにしゃべる人の話は、情報量が多すぎて、こちらがそれを直ちに咀嚼できないから、聞いていてすごくエネルギーがいるし、その情報が正しいのか正しくないのか、結局何が言いたかったのか理解できないケースも多い。
ちなみに、マシンガントークの依頼者から話を聞くときは「今のところ、よく分かりませんでした。もう一度言って下さい。」と言ったり、話を遮ってまでも、こちらから質問をぶつけて、答えてもらうようにするなど自分のペースに持っていきたくなる。依頼者から見ると「この先生、理解が遅いな。」と思われているのではないかと心配もするが、問題の本質を理解するには、やっぱり自分の頭で地道に論理的に考えなければ答えが出てこない。ある程度は仕方がないと思う。

口べた克服のためには相手が何を知りたがっているのかを想像することも重要だろう。
仕事上の会話はお互い必要な情報の交換なのだから、必要な情報を過不足なく伝えることができればそれでいい。そのためには相手が何を知りたがっているかを的確に捉えるのがポイントになる。それができれば、あとは流暢にしゃべろうがどうしようがそれは大した問題ではない。知りたがっていることに過不足なく答えればそれでいいのである。「説得」もその応用編だろう。いわゆるセールストークも同じではないだろうか。
ただ、ここで過不足なくというのが難しい。しゃべりすぎても「話が長い」と思われるし、言葉が足らないと「サービス精神がないな。」と思われてしまう。私が事務所でよく言われたのは「多くの質問をさせるようなしゃべりかたをするな。」ということである。つまり、相手の聞きたいことに的確に答えていないがために、相手に質問されてしまうのである。相手が言わなくても、聞きたがっていることを想定して、それに一つ一つ答えた結果、最終的に相手に「知りたいことが全部分かった。あーよかった。」と思わせるのが最高の形だが、これは相当高度な話である。

あと思い付く限りで言うと、相手の反応を伺いながら、理解してもらっているかどうかを観察しながらしゃべることも重要である。話を理解して貰うための前提事実は最小限度情報提供しておかないと「え、何の話?」となってしまう。もちろん前置きが長すぎても「端的に言え。」となるが。また、その世界(例えば司法の世界)でしか通用しないような専門用語のみで一般人相手にしゃべるのも、端から見ていると、上手くない漫才をテレビで見ている時と同様の気分になる。
それから最近特に気が付いたことは「だまっていないで説明しよう。」という姿勢である。私が特に口べたという自覚があった原因は、もっと若い頃は「以心伝心」に対する信頼が強すぎたからだと思う。喜怒哀楽なんでも口に出して説明してみたら、相手にストレートに伝わるのではないかと思う今日この頃。
これまた過剰は慎まないといけないが。

なんだがお説教のようなつまらない話になってしまったが、心がけを持つこと自体は大切だろう。