「華麗なるギャツビー」や珠玉の短編集で有名なスコット・フィッツジェラルドは、大恐慌の幕開けとなったニューヨーク株式市場での株価大暴落のニュースを滞在先のチュニジアで「遠い雷鳴のように」聞いたそうである(村上春樹氏のエッセー集「遠い太鼓」より)。
今、サブプライムローン問題によりアメリカの証券会社・投資銀行が次々と破たんしている。大きいところではアメリカ第5位のベアスターンズがJPモルガン・チェースに買収され、第4位のリーマン・ブラザーズは日本でいう民事再生法の申請をし、第3位のメリルリンチはバンクオブアメリカに買収された。また、大手生命保険会社のAIGは政府管理となった。金融恐慌の様相を呈してきたと言っていいであろう。
このような状況は、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券の破たんの連鎖が起こった1997年11月の日本とよく似ていることが指摘されている。
ところで、その当時、私はバンクーバーに住んでいたのでフィッツジェラルドのようにドラマチックな感想をもってもよかったはずである。しかし、残念ながらそのような記憶はない。日本円は、アメリカドルに対してはある程度円安にふれていたもののカナダドルに対する影響は比較的軽微で、依然として円換算での食事や買い物には割安感があった。そのため、私の生活にはほとんど変化がなく、それなりに大変なことが起こっていることは理解していたが実感が伴わなかったのである。
しかも、その後日本に続いた長期低迷の開始の象徴ともいうべき山一証券の破たん時に野沢社長(当時)が泣きながら記者会見をした映像もリアルタイムでは見ていない。このニュースはカナダ人のクラスメイトから聞かされた。どのような報道のされ方をしたのかは知らないが、私は、日本や日本人に対する知識のあまりなかった(と思う)クラスメイトから「彼はなぜ泣いていたのか」と質問され、それでこのニュースを知ったのである。
カナダ人にとって、会社が倒産したことと社長の責任は別であり、特に道徳心の発露として泣きながら記者、その向こうにいる日本国民にお詫びをするということは理解しがたかったのだろうと思う。私も説明することはできず、「恥の文化」に関連づけて適当なことを言っただけだった。少なくとも、今回の破たんの際にリーマン・ブラザース社長が号泣しながら自分たちの責任を認めつつ社員を庇うことは行われなかったし、そのような場面は想像できないであろう。
つまり、私は、日本の金融危機へとつながるこの象徴的なできごとを日加の比較文化論的に認識しただけなのである。
私は、1997年の日本の金融危機の始まりに立ち会っていない。そのため、当時の日本の雰囲気というのがわからない。海外では悲観的なニュースが流れ、極端に言えば失業者が街にあふれる状態が目前に迫っているというイメージだったが、もちろん、事実としてはそこまでひどくはなかったようである。外国にいるとこのような出来事については極端な情報伝達がされることがあり、そのため余計に今回のサブプライム問題に端を発した金融不安についていろいろと考えてしまう。アメリカを離れて外国で仕事や勉強をしているアメリカ人は、リーマン・ブラザーズの破たんなどを「遠い雷鳴のように」聞いているのだろうか、また、アメリカ国内ではこのようなニュースがどの程度日常生活に暗い影を投げかけているのだろうか、などである。