執筆者:イスラム建築マニア
2013年05月15日

GWに鳥取砂丘に行ってきました。小学校の1、2年生の時に行って以来です。
前に行ったときは父の田舎に行く途中に寄っただけだったので、おそらくバスの時間があったのでしょう、砂丘の途中まで歩いたところで、そんなに遠くに行くなと止められ、砂丘の端がどうなっているのか見ることができないまま引き返しました。
そのせいもあって、小さい子供の私には、どこまでも続く砂漠に行ったような記憶だけが残りました。
その後、大人になってから鳥取砂丘からそのまま海に続く景色をテレビで見て、端はこうなっていたんだ、もう一度砂丘に行って今度は端まで行ってみたいと思うようになりました。
世界では、普通、砂漠は内陸部にあるのが一般的なので、砂漠と海が隣り合うというのも珍しい光景です。

ちょうどGWに鳥取砂丘に行く日帰りバスツアーを見つけました。
ツアーはだいぶん前に申し込むので、晴れるかどうか分からないうえ、GWで渋滞に巻き込まれ、十分な観光時間がなく、また途中で引き返すはめにならないかという心配もありましたが、日帰りバスツアーの安さに惹かれ、だめだったらまた行けばいいやという思いで申し込みました。
電話で申込み時に、海の近くまで歩けばどのくらいの時間がかかるのか聞いてみたところ、約1時間とのことでした。
この時点でちょっと意外でした。私の記憶の中の大砂漠は、何と端まで往復してもたった1時間の距離だったのです。

旅行当日はとてもいい天気なうえ、前日までも晴れの日が続いていたので、砂もサラサラで申し分のない砂丘日和でした。肝心の観光時間はというと、ふもとの砂の美術館を含めて約2時間の自由時間がありました。
まず砂の美術館に行きましたが、ここの展望台から砂丘が見えます。既に海が見えています。

そして、いよいよ砂丘に入ることに。
子供のころは、その先に海があることも知らず、どこまでも続く砂漠のように思っていましたが、大人の歩幅でさっさと歩くと片道20分くらいで海の手前の小高い丘に着いてしまいました。
念願の砂漠と海の隣接の光景は、見ようによっては普通に広いビーチです。
そしてもと来た方をふりかえれば、遠くにみやげもの屋の建物が見えます。砂丘の両端が見渡せます。私の記憶の中の大砂漠は、砂丘へと大きさを変えました。

子供のときに広いと思っていた道が、大人になってから通ると、こんな狭い道だったっけ?と思うことや、学校の校庭がこんなに狭かったんだと思うことはよくあります。
身長が違えば見える高さが違い、歩幅も違うので距離感が異なるのでしょう。
でも今回鳥取砂丘に行って思ったのは、単に子供の目線から大人の目線に変わっただけではないように思いました。経験も大いに関係あるようです。
子供の頃には砂丘のような広い場所を他に見る機会もなかったので、初めて見る景色に感動が加わってより広く感じたのではないでしょうか。
大人になって、サハラ砂漠をはじめ、世界の本物の砂漠をいくつか見るようになりました。
そのうち、砂漠は360度何もないのが当たり前になっていました。知らないうちに砂漠に慣れていて、端が見えただけで、ああ砂漠とはほど遠い、まさしく砂丘と感じるようになっていました。

前々回のエッセイ「アバヤでGO!!」でも、念願のイランのイスファハーンで凄いムカルナスを見たにもかかわらず感動がいまいちで、イスラム建築の見すぎの弊害を感じたと書きましたが、大人になって経験を重ねると、その都度の感動はありますが、別のところで感動を失ってしまうこともあるんだなと思いました。
あらためて、贅沢になってしまった自分を反省しつつ、小さなことにでもその良さやその機会に巡り合えたことに感謝し感動できる人でいようと思いました。

ちなみに鳥取砂丘に決してがっかりしたわけではありません。
世界の砂漠に行くほど、結構、私は砂漠好きなので(イスラム建築を見に中東や北アフリカに行くとちょうど砂漠もある)、青空と砂だけの鳥取砂丘の景色も好きでした。
今回は、長年気になっていた砂丘の端をこの目で確かめることもでき、新たな発見もあり、天候にも恵まれ、良い旅となりました。