2024年9月から2025年2月までの5ヵ月間、実は茨城県の水戸市を3回訪れていた。私のエッセイを読んでくださっている皆様には、何の目的で茨城県に行っているかご存知だと思うので、ここでは敢えて伏せておこう(笑)。
2024年9月下旬、初めての偕楽園訪問。
日本三名園の1つである偕楽園。
後楽園・兼六園は訪れたことがあり、一度行ってみたいと思っていた。
しかし、鹿嶋市までは行くことがあっても水戸市まで北上する機会がなかったが、今回は水戸で宿泊することになり、満を持しての訪問である。
偕楽園は江戸時代、水戸藩九代藩主 徳川斉昭公によって造園された。
「偕楽園」の名前には、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願った斉昭公の想いが込められているとのこと。
初回の偕楽園は、茨城県在住のサポーター仲間と共に訪れ、園内を案内してもらった。
「孟宗竹林」という斉昭公が京都から移植した竹林、「吐玉泉」という斉昭公が景観を考慮し白色の井筒を据えた自水泉等々、見どころも多い。
そして、「好文亭」という建物も有名だ。
二層三階の「好文亭」本体とその北に繋がる平屋建の「奥御殿」から成っていて、斉昭公は、ここに文人墨客や家臣・領民を招き、養老の会や詩歌の会を催したそう。
昨年の9月といえば、まだまだ暑い日が続いていたが、少し高台にある好文亭内は風が通り抜け、とても心地が良い。その三階から偕楽園やその奥に広がる千波湖を眺めながら、江戸時代の様子に思いをふける。四季が感じられなくなっている今日この頃。水戸で秋風を味わうことができたのはとても嬉しかった。
偕楽園と言えば、誰しもが一番に思い浮かぶであろう梅園の存在。
偕楽園の中はもちろん、園外南側にも梅園が広がる。
しかし、9月下旬の梅の木には葉も全く付いておらず、一見枯れ木の様に見える。
調べてみると年2回剪定をしていて、梅の実を取った後の夏頃と11月~1月の間に剪定しているそうだ。
そんな枯れ木状態の梅の木を眺めながら、2月になるとピンクや白色の花をつけ、満開だったら綺麗だろうな…と勝手に妄想し、その場を後にした。
2025年2月下旬、二度目の偕楽園訪問。
この日は朝から快晴。
今回は宿泊していたホテルから、桜川~千波湖を散策しつつ、約2㎞ある道のりを歩いて向かうことに。少し肌寒い日ではあったが、祝日を満喫している人々が湖岸を行き交っていた。
もうすぐ偕楽園というところで、JRの線路を越えるための高架橋がある。
そこから、園外の梅園が望めるのであるが、あれれっ…??
遠目ではあるが、昨年9月に見た景色と変わっていないのではないか…!?
嫌な予感がしつつ、偕楽園入口まで辿り着く。
そこには中国人団体客や日本人観光客で、入場券売り場は長蛇の列。
みんな、満開の梅の花を想像し訪れたに違いないであろう…。
いざ、入園してみると、幸い早咲きの梅の花がチラホラ咲いている!!
私の頭の中で勝手に満開の梅の花を妄想する必要が無くなり、一安心(笑)。
本来この時期であれば開花はかなり進んでいるようだが、今年の水戸は思いの外、冷え込んでいたよう。実際、この日の夜中の最低気温はマイナス5℃近くになっていた。
さて、偕楽園の梅の開花状況はというと梅園の2割弱程度という感じであった。
貴重な梅の花を至近距離で凝視してみると。。。
桜の花は枝からガク出ていてそこから花が付いているが、梅の花は枝から直接咲いていることに気付いた。
大人になってからこんなにも梅の花を間近で見つめる機会は無かったが、梅の木にもたくさんの種類(300種以上)があることも分かった。
ピンク色でも濃淡の違い、花びらも微妙に異なっていたり、八重もあったりと種々様々である。
そして何といっても梅の花の香りが結構強いことも発見した。
花より団子。。。
花を愛でるというより、実益を取ってしまいがちであったが、自然を楽しむことも素敵であると実感した旅となった。