執筆者:スオミュージック
2023年08月15日

クッキーが入っていた缶かん
チョコレートの空き箱
そうめんが入っていた木箱

いつの頃からか、可愛いお菓子の箱や缶かん、ついでに可愛い包装紙はすぐに手放せない。処分できない。お菓子自体の単価に関わらず、入れ物自体が可愛いとついつい愛でてしまい、資源ごみとして分類することができない。
可愛い包装紙は封筒にしてリユース。
可愛い箱や缶かんは容器としてリユース。何を入れるのか、何に使うのか、すぐには決まらない。けれどもリユース。どうにかしてリユース。
ちなみに好みでない箱、缶かん、包装紙は、迷うことなく資源ごみとして秒で即決できる。

可愛いけど何をいれたらいいかわからない→不要→資源ごみ→リサイクル、ではない。
可愛いけど何を入れたらいいかわからない→何をいれるか何が入るか可能性は無限大→リユース。
可愛い箱や缶かんとじっくり向き合い、想像し、思考し、試し、ぴったりのものが収まると、あら不思議。可愛い箱や缶かんに新しい未来がやって来る。

外箱や缶かんは中身を持ち運び、しばし保管・保存するためだけに存在するのではない。
外側が素敵であれば、内側にひっそりおさまっているモノはいかに素敵であろうか。中身をさらに輝かせてくれるのが包み紙であり箱であり缶かんなのだ。そんなワクワクをもたらしてくれる可愛い包装紙や箱や缶かんを、どうして資源ごみなどといえようか。
だから、中身とともに外箱も去ってもらうのは、あまりにもしのびない。

とはいえ、リユース開始後しばらく経つと、箱や缶かんに何を入れたか忘れてしまい、中身がわからなくなることもある。
そうして探し物をするとき、いくつもの缶かんや箱を開ける。あぁ君はここにいたのか、とか、いやいや久方振りですお達者でしたか、等々、中身との再会を楽しむ。
ラベルを貼れば解決することもあるけれど、ラベルを貼ることで、可愛い箱や缶かんの魅力を損ねてしまうこともある。中身が分かることよりも、大事なことがある。これもリユース。

アンティークショップや蚤の市に行くと、外国の缶かんが鎮座している。
コーヒー豆の缶かん、クッキーの缶かん、紅茶の缶かん。ところどころ錆があったり、変形してスムーズに蓋が開かなかったりする。けれどもその錆や劣化がさらに風合いをもたらし、「アンティーク」感や、「ビンテージ」感を醸し出している。新品のぴっかぴかな缶かんよりも輝いて見える。
缶かんを大事にしている人は世界中にいる。可愛い缶かんリユースを続けて、可愛い缶かんたちの未来につなげていこうと思う。
いまは和菓子が入っていた木箱と向き合い、木箱の未来を考えている。