執筆者:気まぐれシェフ
2006年05月28日

素足の季節がやってきた。ということは、今年もまた足から血を流しながらミュールを履かなければならないのか。ため息吐息である。

小さく且つ幅広というやっかいな足を持つ私は、なかなかピッタリサイズの靴にめぐりあえないでいる。さらに、運良くサイズが合ったからといってすぐにお買い上げという訳にもいかない。私の探し求める「オシャレでかわいくて華奢な靴」は、えてして、歩きづらいのである。
つまり、足にギリギリと食い込む細いヒモのみで構成されていたり、靴の裏が異常にツルツルしていて氷上を歩くかのごとき注意が必要だったり、一歩ごとにカツーンカツーンと高飛車な音を周囲に響かせなければ前に進めなかったりして、実用性のかけらも無いのだ。
靴の裏の問題ならラバーを貼ったりいかようにも工夫できるが、細いヒモの靴なんていったいどうやってこれで血を流さずに歩けというのか、とデザイナーを問いただしたくなる。運転手つきお車をお持ちのセレブな方のみを対象としておりますと言われてしまうのが関の山だけれど。
でも、でもだ。歩きやすいけれど私のオシャレ感度を刺激しない靴と、絶対に歩きづらいけれど素敵な靴が目の前に並べられたとしたら、私はきっと後者を選んでしまう。

かわいいものやかっこいいものを集めたり見たりするのは大好きだけれど、同時にちょっぴりストレスにも感じてしまう。
だいたいにおいて、オシャレはつらい。オシャレは我慢と努力の上に成り立っている。

たとえばノースリーブの洋服。これを着こなすには是非とも美しい二の腕が欲しいところである。足と見まがうような腕や振袖のようなたぷたぷの腕をニョキリと出して周囲を圧倒している場合ではない。すなわち、細くはならないまでもせめて現状維持に努めるという前向きな姿勢が必要となる。
ヘソ出しスタイル。これだってぷよぷよのおなかを自慢してもしょうがないのだから、それなりにおなかをひっこめる努力が影には隠されている。あられもないとの批判も多数あるだろうし、さすがに私は出せないけれど、実は出せるだけ立派なもんなのである。ブラボー。
足を出すにもそれなりにお手入れしなくてはいけないし、虫刺されや青タンなどが目立ってしまってはかなりトンマな人に見られてしまうので、これまた日々の注意とチェックが必要となる。足の爪のお手入れだってしたほうがいい。
しかも肌見せスタイルというものは、冷えに耐えなければならないからなおつらい。冬のノースリーブなんてオシャレ度はかなり高いのだが、いったいいつどこで着るのよ。寒がりの私は部屋の中でも凍死してしまう危険性大である。
バッグだって例外ではない。いやーんかわいい、と思わずクネっとなってしまうバッグは、いつだって小さくて使いづらい。お財布しか入らないどころかそれそのものを財布にするしかないくらいだし、口も狭くて使いづらいことこの上ない。普段荷物の多い私は、なんでこんなもの買っちゃったんだろうとあふれ出そうになる後悔をシッシッと追い払い、あぶら汗をにじませながら荷物の厳選とその収納方法に悪戦苦闘することになるのだ。
部屋のインテリアだってオシャレなものは掃除が大変だし、モデルルームみたいにきれいな部屋を保つには整理整頓に対する不屈の精神が必要不可欠なのである。
モデルさんなんて、美しい立ち居振る舞いはもちろんのこと食べ方やバッグの持ち方にまで注意を払い、自分を一番美しく見せることを常に心がけているらしい。
ここで一番重要なのは、日々の努力と我慢を周囲に感じさせないことだ。たとえ足のマメがつぶれようと足を引きずって歩いてはいけないし、家でおなかよ引っ込めと念じていようとその事実をひけらかしてはいけない。実用性のかけらもなく現実味も帯びず、生活感が無いからこそオシャレと感じるのだろうと私は思っている。ああ、なんてつらい。

私にそんな過酷な生活が送れるわけがない。どこまでもガシガシ歩いていける機能性あふれるサンダルに、体の線を覆い隠す洋服に、なんでも放り込めるおおきなバッグは手放せないし、家に帰ってリラックスウェアに着替えたときなんて至福のひと時である。楽チングッズを一切持たない生活なんて絶対考えられない。

本当に素敵な人ならば、何を着ていても何をしていても美しいだろうし、私が苦行と感じることもさらりとやってのけるに違いなく、努力も我慢も必要としないだろう。でもそうじゃない私は、ゆるみきってしまったら最後、目も当てられない姿へと変貌をとげ、部屋は荒野のように荒れ果てること必至である。
これがつらいトレーニングばかりなら誘惑に負けてトドになるほうをあっさり選ぶところだが、やっぱりオシャレするのは楽しい。だから、痛いけどかっこいい靴が履きたいし、使えないけどかわいいバッグを持ちたいし、疲れるけどみっともない仕草はしたくないし、面倒だけど汚いのは嫌だから掃除しなくちゃいけないし…となる。わかっちゃいるけどやめられないのである。理想の姿を追い求めれば足から血が流れ、楽チンさを優先すればトドになった姿が頭をよぎる。これではもうまるで「憎い~恋しい~、憎い~恋しい~」とジレンマにもがく八代亜紀の「雨の慕情」状態である。

いつの日か美しさと機能性を兼ね備えた素敵なグッズで世の中が満たされる日が来ること、もしくは、だら~んとしたスタイルの方がよしとされる時代が来ることを願うが、そんな奇跡がおこるまでは、このジレンマと戦っていかねばならない。
オシャレな理想の姿と楽チングッズからの甘い誘惑との間で揺れ動くこの乙女心、あなたにはわかるだろうか。