2020年01月01日

子どものころから40年以上、数限りないお笑いのテレビ番組を見てきました。
ちょっと振り返ってみます。

小学校低学年のころまでは何といっても、ザ・ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」です。
昭和50年代前半、土曜日は昼まで学校がありましたが、1週間を終えた小学生にとって、ドリフは最高の娯楽でした。PTA団体にとってはワースト番組の筆頭でしたが、いかりや長介(チョーさん)が書いた台本に合わせてメンバー全員が猛練習を積んだ緻密な笑いは、めちゃくちゃ面白かった。日曜日に朝食を食べながら、思い出し笑いをしてしまい、親から「またドリフのこと思い出してるな」と言われました。
当時、若手だった志村けんが今も活躍しているのはすごいと思います。ただ、ドリフの後継者はいないですね。

一方で、これも土曜日ですが、関西の子どもは、ランドセルをおいて、遊びに行くか習い事に行く前に、ご飯を食べながら、吉本新喜劇を見ていました。
寛平ちゃんや、この前亡くなった木村進が活躍していました。そうやって関西人は笑いの基礎を叩き込まれたわけです。

そのうちご承知のとおり、1980年ごろから漫才ブームが起きるわけですが、最も人気があったのは島田洋七・洋八のB&Bだったのではないでしょうか。
「もみじ饅頭!」とか、「めちゃめちゃ陰気やで~!」とか、脈絡はないのですが、速射的にギャグを打ちまくるのは、今の漫才に通じるものがあります。
もちろんその前から関西では、横山やすし・西川きよしや、オール阪神巨人が若い人にも人気があったのですが、彼らは漫才ブームで出てきた人ではないでしょう。
そのB&Bを生み出したのが、日本テレビ系で放映されていた「お笑いスター誕生!!」です。これは毎回数組のコンビまたはピン芸人がネタを披露し、審査の結果、10週合格したら、チャンピオンになるというものです。
赤塚不二夫、タモリ、京唄子・鳳啓助などが審査員で、ルパン三世の声で有名な山田康雄と中尾ミエが司会でした。
全ての組がネタを披露し終わったら、舞台中央に設置されたカプセル風の扉があって、裏から壁が回ってきて、合格ならカプセルが開いて出てくる、不合格ならば、カプセルは開かないまま出てこれないで裏に回ってしまう、という。
六法全書を手にもって法律ネタを展開する「ミスター梅介」とか。。。懐かしすぎる。
B&Bは初代チャンピオンでした。漫才ブームが起きた要因はいくつもあると思いますが、この番組の貢献も大のように思います。
ちなみに、二代目はおぼん・こぼん、ほか、九十九一(つくもはじめ)、とんねるずもチャンピオンです。とんねるずも面白かったなあ。
大竹まことらのシティボーズもチャンピオンです。ちなみに、キングオブコントチャンピオンの東京03が、平成のシティボーイズと言われることがありましたが、その意味はよく分かります。洗練された知的なコントで、いかにも東京の笑いです。面白かった。

話が前後しますが、漫才ブーム時代は、THEMANZAI、花王名人劇場(激突!漫才新幹線など)とか、ほかにもいっぱいネタ番組がありました。
激突!漫才新幹線は東西の漫才師がまさに激突する、ということで、やすきよもこれで全国区になったのではないでしょうか。
ツービート、島田紳助・松本竜介、ザ・ぼんち、西川のりお・上方よしお、春やすこ・けいこなどなど。人気者がたくさん出てきました。

漫才ブームが終わるか終わらないかのころ、萩本欽一(欽ちゃん)のテレビ番組が全盛だった時期があります。
月曜日は「欽ドン!良い子悪い子普通の子」、水曜日は「欽ちゃんのどこまでやるの?」、金曜日は「週刊欽曜日」と全部見ていました。
でも、今、欽ちゃんファミリーで個々に頑張っている人はいますが、あまり大きな流れになっていないのは残念ですね。

人気絶頂のB&Bはフジテレビでお昼の帯番組「笑ってる場合ですよ!」の司会を担当するようになります。
そこに「お笑い君こそスターだ!」というコーナーがありました。私が覚えているのは、宝塚のフィナーレをもじったみたいなネタの島崎敏郎率いる「ヒップアップ」や山田邦子ぐらいですが、今、ウィキペディアを見ていると、ダウンタウンも「ひとし・まさし」として出ていたようです。これは知らなかった。学校のある昼間の放送だから見ていないはずですね。

フジテレビの流れでいうと、同じころ始まった「オレたちひょうきん族!」も毎週土曜日の夜8時が待ち遠しかった。漫才ブームのスターたちがみんな出ていました。
小学校5、6年のころだと思います。ネタ番組ではなく、今でいうバラエティで、「ひょうきんベストテン」とか、「タケチャンマン」とか、「懺悔のコーナー」とかめちゃくちゃ面白かった。
土曜の8時は「全員集合」と被るのですが、その当時にあっては「ひょうきん族!」の方が断然面白く、いつの間にか、そっちを見るようになりました。
番組が終わって、エンディングテーマ曲、EPOの「DOWN TOWN」が流れるころ、「ええ、もう終わりか~」とさみしい気持ちになりました。

あと、日本のお笑いを変えたダウンタウンを輩出したNSC(吉本芸能総合学院)について触れ、作家の中島らもとその仲間たちが出ていた「なげやり倶楽部」(よみうりテレビ)のことも書きたいのですが、なかなか昭和も終わりません。次回に回したいと思います。