執筆者:札勘スイマー
2017年09月15日

前回のエッセイで「イタリア旅行~出発編~」として、イタリアまでのフライト中に体験または感じたことをお伝えしました。今回はその観光編についてお話したいと思います。

日本を出発しておよそ12時間、夜のミラノに到着しました。
寒波の影響でかなりの冷え込みでしたが、これから始まる旅行に大きな期待を抱きつつ、1日目のホテルへ向かうのでした。

翌日、いよいよツアーのスタートです!
初めての観光は、ミラノにあるスフォルツェスコ城でした。
15世紀にスフォルツァ家が、かつてのヴィスコンティ家の城跡を改装し、居城としたお城です。このお城は、あのレオナルド・ダ・ヴィンチも建設に加わったといわれる古城のようです。

次に今回の旅で楽しみにしていたミラノ大聖堂(ドゥオーモ)に向かいました。テレビでミラノといえば、必ず映る観光スポットのドゥオーモですが、いざ目の前にしてみると、後期ゴシック建築の大聖堂で大理石造の外観に圧倒されてしまい、ただただ凄いなと見惚れていました。
このドゥオーモは1386年起工、1570年代に献堂されましたが、その後もファサード、尖塔、ステンドグラスなどの工事は続けられ、19世紀半ばに完成したそうです。
大聖堂の中も見学し、その後ドゥオーモの近くにある「ガレリアの幸運の雄牛」というパワースポットに立ち寄りました。
プラダの店舗の前の通路にモザイク模様で舗装された部分が、少し窪みになっており、その場所に足のかかとを入れ、立ったままクルクルと3周程回ると幸せになれるという言い伝えがある場所です。
それから、ヴェローナという町にあるシェイクスピアの名作「ロミオとジュリエット」の舞台となった「ジュリエッタの家」を訪れました。

2日目は、楽しみにしていたヴェネツィアを訪れました。
しかし、日中の気温は-3℃。ダウンコートを着用していても寒く、しかも水の都ということもあり、風も吹き抜け体感温度はそれ以上に感じるほどでした。そんな極寒の中でしたが、ヴェネツィアといえば、「ゴンドラ!」という印象が強く、絶対に乗ってみたかったので、乗船。2つ前を行くゴンドラからカンツォーネが聞こえてきました。それがまた情緒があって、旅の雰囲気を盛り立ててくれました。
その後、サン・マルコ広場、サン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿を巡り、途中カフェで本場のエスプレッソを味わい、夕食はイカスミのパスタ、フリット、ティラミスをいただきました。

3日目はフィレンツェに向かいました。
先ずは、丘の上にあるミケランジェロ広場からフィレンツェ市街を一望しました。
テレビでよく見る光景が目の前に広がり、赤茶色の屋根で統一された街並みはとても綺麗で、ただただ感動していました。
それから、シニョリーア広場を通り、その裏手(メルカート・ヌオーヴォの南側)に置かれたイノシシの像、通称「仔ブタちゃん」を見に行きました。その鼻先を撫でた後、イノシシの口の中に小銭を入れ、それがうまく下の溝に落ちたら幸運が訪れると言われています。こちらもパワースポットの一つで、周囲は多くの観光客が並んでいました。
そこから、ベッキオ宮殿前を通り、ウフィッツィ美術館で暫し絵画鑑賞をしました。近頃はテロへの警戒のためか厳重な警備を受け、館内に入ります。美術館の中は世界各国から多くの観光客が訪れていて、かなり混雑していました。
ウフィッツィ美術館といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ラファエロらの作品が約2500点も展示されており、中でも「ヴィーナスの誕生」を鑑賞できるのもこの旅行での楽しみの一つでした。最近では、館内の写真撮影が可能となって、名画と共に写真に収まることもできます。
美術館を去った後は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 (ドゥオーモ)、ジョットの鐘楼を見物し、革製品の工房でお土産を購入しました。

そして、この日の午後からは自由行動でした。オプショナルツアーで、「ピサの斜塔観光」というものもありましたが、冒険気分で自らの力で行ってみよう!と考え、友人と2人でピサに向かうことに。
ここで、このエッセイのサブタイトルである「イタリア人は適当!」ということを目の当たりにしたのです。

まずは、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅から、ピサ行きの電車のチケットを購入しなければならないので、駅員さんに声を掛けようとしました。しばらく周囲を見渡し、女性の駅員さんを発見!!
私が簡単な英語で、「ピサまで行きたいのですが…。」と伝えると、券売機まで案内してくれ、チケットの購入までやってくれました。
次にこのフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅はターミナル駅なので、沢山あるホームのどの場所から発車する電車に乗ればピサまで辿りつけるのか聞いたところ、笑顔で「4番ホームね!」と言われました。とても親切にしてくれたので、私たちも笑顔でお礼を言い、4番ホームに向かいました。
しかし、10数分経っても一向に電車がやってきません。やっと電車が来たかと思えば、明らかに違う方面に向かう電車だったのです。心配になってきたので、また券売機の近くまで戻り、すべてのホームに発着する電車の電光掲示板を確認すると。。。
4番ホームではなく、1Aホームになっていたのです!!
この駅は改札も無く、駅構内に入った時、みんなその電光掲示板を眺めているなぁと思っていたのですが、電車がホームに入ってくるギリギリにならないと、電車がどこのホームに停車するか分からないみたいでした。
その後添乗員さんがバスでの移動の際に、イタリア人の「ちょっと」は「20~30分」を意味することや、「急いで欲しい。」と言っても「のんびり」しているという国民性の話を聞きました。
でもまさか、笑顔で不確かな情報を教えてくれるとは思ってもみなかったので、あまりイタリア人の話は信用してはならないのかなぁと感じました(笑)。

そんなこんなで、フィレンツェの駅から小一時間経過してようやく電車に乗ることができました。ピサの駅までは1時間程で到着します。改札も無いのに車内でチケットを見せることもなくピサへ到着したのです。
ピサに到着してから、斜塔までは少し距離があります。バスも出ているようですが、ちょうどいいタイミングのものがなかったので、地図を頼りにまた、自分の方向感覚で歩き出しました。この数日の滞在で、観光名所付近では自撮り棒を売っている人がいるという光景を見ていて、その人が現れたので、もしかしたら斜塔の近くまで来ているのではないかと思った瞬間、斜塔の上部が見えたのです!!
この時の感動といったら、相当なものでした。自力で辿りつけたことが嬉しくて、2人で大声をあげていたかも知れません(笑)。
ピサの斜塔はテレビで見て想像していたより、もっと斜めに建っている印象でした。テレビでは斜塔付近しか映らないことが多いので、その周囲に大聖堂や洗礼堂があることを知りました。
ここで、皆さんお馴染みの斜塔を支えたり、押したりしているように見える写真を撮っていて、この一角に観光客が集中していました。

翌日以降は、チヴィタ・ディ・バーニョレージョというラツィオ州ヴィテルボ県バニョレージョに属する分離集落を訪れました。2500年以上前にエトルリア人によって造られた都市で、台地辺縁部の崩落によってその上の建物が崩れる危機に常にさらされており、「死にゆく町」とも言われている所です。

それからは、ローマに向かい2日程滞在できたのですが、バチカン市国・サンタンジェロ城・コロッセオ・トレヴィの泉・フォロ・ロマーノといった数々の観光名所を巡ることができました。最終日も終日自由行動でしたが、ローマはどこを見ても遺跡だらけで、見物する所が沢山あります。2日間では全く足りませんでした。
最後にポポロ広場周辺を歩き回り見つけた日本では出店されていないブティックで、自分へのお土産として、ローマのマダムに見立ててもらったワンピース2着とオシャレなベルトを購入しました。

最終日まで順調に進んでいた今回のツアーでしたが、寒波の影響で、ローマからフランクフルトへのフライトが雪のため2時間以上遅れたのです。すると、フランクフルトから関西空港までの飛行機がもう出てしまったとのことで、代わりの飛行機の手配に時間を要し、結局は8時間以上もフランクフルト空港に滞在することになったのです。
やはり、旅にはアクシデントがつきものなんだなぁ…と、実感しながら、羽田経由になったものの何とかおよそ12時間遅れで、関西空港へ到着したのです。最後の最後にドッっと疲れが押し寄せてきましたが、無事帰国できたので、安堵しました。

細かいエピソードはまだまだ沢山ありましたが、8日間の旅行で得た教訓は、「イタリア人は適当!」ということと、昔から想い描いていてかなり期待していた私好みの男前は、あまり居ないということでした(笑)。