私は和歌山県の出身で、帰省するときは、紀ノ川を必ず渡ります。
和歌山のとある上場企業の社外監査役でもありますので、取締役会に出席する際も紀ノ川を渡ります。
和歌山だけの風習かどうかわかりませんが、お盆の御供え物を最後に新聞紙にくるんで、紀ノ川に流しに行きます。先祖があの世に帰っていくときのお弁当だそうです。
お供え物の包みをポーンと放り投げると、包みは川下に流れていくかと思いきや、河口から吹いてくる風の加減で、川上に向かって流れていくことがあります。川の表面は風のせいで流れに逆行しているんですね。
そのとき、はたと思ったのは、表面的にはさざ波が有ったり、逆行していっているようにみえても、大きな川の流れが下から上に流れることはないんだな、ということでした。そう思ったのは最近ではなく、10年ほど前のことでしたが。
弁護士の仕事はいろんな面で自分にはなかなか難しく、悩みがあったり、上手く行かないことへの焦燥があったりしましたし、そのことは今も同じ。
それでも例えば5年前の自分と比べたら、知識経験共に豊富になっているし、実力が付いているのは間違いがない、1年前の自分と比べても何の進歩もないようには見えるが、5年のスパンだとかなり違う。これが10年前と比べれば、格段に違う。今から20年前はというと司法試験に受かった時で、実務経験はゼロ、そこから比べたら、謙遜はするものの、明らかに違う。
その時々で、上手く行っていない、歯がゆいと思うことは多々あれども、自分の信じるところに向かってやり続ければ、大きな流れで見れば、弁護士としての実力も多少なりともついてきているように思います。
まだまだやな、進歩がないなと思うのと本当に行きつ戻りつですが、大きな流れで見れば、ジワリジワリとは成長している。
そのことは全く自然の流れで、心配なんかしなくていいんだな、心配するのも構わないけど、信じる方向を見定めつつ、その時々の案件、問題にアタックしていけば、いいやという気になります。
つまり、川の流れが、上から下に流れるのと同様に、自然に任せていればそれでいいや、という気になるのです。
少し具体的な話ですが、案件の見通しをたてるときも、同じようなことを考えます。法律的な理論もありますが、正義はどっちにあるのか、正義は一義的ではないにしても、依頼者にも充分に正当な言い分はある、と目標を見定めたら、その目標を見失しないで、やり続け、考え続ける、そうすると、最初は難しいと思っていた事件も、どうしたわけか、上手く行くことがあります。もちろん、上手く行くことばかりでもないので、そこが悩ましいのですが、心がけはそんな感じです。
法廷で相手方証人に反対尋問を挑むときも、真実の客観的なストーリーがここにある、というイメージがあれば、それに反するような事実を引き出せるような気がします。これは相手の粗探しとは違います。
相手は相手で言い分があるでしょうから、それを徒にやっつけようとしても、上手く行かないことが多い、そうではなく、真実、あるいは、常識的かつ納得的な事実というのがあるはずで、それとはマッチしない事実を証人が述べれば、それは違うんじゃないですか、曖昧なことですね、となります。そんな感じになればそれで大部分目的達成という気がします。相手をやり込めるより、その案件で、認定されるべき真実と結論はここにあります、と自分がどれだけ確信が持てるかで、こちらの主張に説得力が出てくるような気がします。つまり、川の水が川上から川下に流れるように自然に事実をとらえ、裁判官にも分かってもらえるというのが理想です。
裁判など担当していると、相手の書面が届けば、これは不利だと思うこともあります。ただ、最初に見立てた自然で骨太な流れに沿っていれば、必ず勝てる、勝てないまでもいい結論が導けるはずだと最後まで信じて、できる限り頑張ってみます。これは根性論ではありません。
そうすれば、何かしらいい結論が得られることが多いような気がします。黒を白と言い含めるのではなく、何が正しい、あるいは妥当な結論かと目標を定め、不利な事実もいろいろあれども、最終の結論は自然の流れで決まるべきもので、そこを見誤らないように、あきらめないように力を尽くせば、いい結論になることが多いということです。
ところで最近、宮本輝の小説、流転の海シリーズの最新刊まで読みました。学生時代に3巻くらいまで読んでいたものの、あまり興味が持てていなかったのですが、この年になって最初から読み返すと面白くて、4巻以降は文庫本を買ったり、新刊書を買ったりして読みました。
宮本輝の実父をモデルにした小説ですが、その主人公、松坂熊吾は、息子である伸仁に「自尊心より大切なものを持って生きにゃあいけん」と諭します。
そのことと私なりの紀ノ川の話がどこかつながるような気がします。川は放っておいても、川上から川下に流れるのに、堰き止めると流れが悪くなります。過剰な自尊心が流れをとめてしまうのかな、と最近思います。